第8章:手話音韻論および語彙:音韻現象、語彙のバリエーション、歴史的変化

この章では、手話言語の語彙における音韻現象と語彙のバリエー  ションとの関係について考察する。

音韻現象とは、(基礎となる)入力形の音韻的形象に一定の制約  または規則を適用して、出力形を生成することを指す(Quer et al. 2017)。音韻現象は、音声言語、手話言語を問わず、全ての自然言語に見られる。音声言語では、音韻処理の結果、音の配列や種類に影響を及ぼす系統的変化が生じる。手話言語では、音韻処理は、  手話単語を構成する、一つまたは複数の音韻パラメータに影響を  及ぼす。

以下、英語および日本手話(JSL)の実例をあげ、いくつかの共通する音韻現象について説明する。

音声言語において「同化」現象とは、ある分節音(子音または      母音)が、多くの場合、隣接する音の影響を受け、その発音を変化させる音韻処理プロセスを指す。この現象はよく見られ、ふたつの語の間でも、ひとつの語の中でも起こりうる。英語では、      例えば「best man(花婿付添人)」の/t/の音は、後ろに両唇鼻音(「man(人)」の/m/)が続く場合、早口で話すと[p]と発音されることがある。/t/と/p/はともに無声閉鎖音であり、両者の違いは  調音の位置のみである。つまり、/t/が歯茎音(前歯のすぐ後ろの  歯茎で発する音)であるのに対し、/p/は両唇音(上唇と下唇で     発する音)である。このとき、/t/は、後続の両唇鼻音/m/を予期     して、[p]へと同化される。これは調音位置の同化である。もうひとつ、よく似た同化の実例として「bank(銀行)」という語が挙げられる。この場合、歯茎鼻音/n/は、無声軟口蓋破裂音/k/の影響を受け、軟口蓋鼻音[ŋ]に変化する。

同化は手話言語でもよく見られる現象である。同化は、手話単語のひとつまたは複数の音韻パラメータに影響を及ぼし、ふたつの手話単語の間で生じることもあれば、ひとつの手話単語内で生じることもある。例えば、日本手話の /父/ は、(1) 立てた人さし指を頬へ接触させる動き、(2) 立てた親指を上方向へ移動させる動き の二つから構成される。

だが、実際にろう者の表出を見てみると、人さし指が頬に接触      するときにはすでに、親指が立っていることが観察される。            つまり、(2) の手型が (1) の手型に影響を及ぼし、手型が同化しているのである。

/父/

また、アメリカ手話(ASL)(Corina 1990)やイスラエル手話(Israeli Sign Language)(Sandler 1999)など、他の手話言語では、一人称代名詞の同化が報告されている。

同化は、ひとつの手話単語の中でも生じうる。日本手話の /カメラ/ の原形は、カメラを手に持ち、シャッターボタンを押す手の動きを描写したものである(/カメラ①/)。この時、利き手の人差し指だけを、指の付け根以外の関節で曲げる。しかし、この原形から転じた変異形(/カメラ②/)では、ボタンを押す動作が反対側の   手にも見られ、非利き手の指も曲げている。これが動きの同化の実例である。

/カメラ①/
/カメラ②/

同化はまた、ひとつの複合語の中でも生じうる。日本手話の /15/ という複合語は、/10/ と /5/ という語で構成されている。一つ目の写真の /10/ は、その複合語の原形を示したもので、同化は生じていない。対して、二つ目の写真は音韻現象が起こった形であり、後続の /5/ の影響を受け、/10/ の手型に同化が生じている。

/15①/
/15②/

もうひとつ、よく見られる音韻現象として、音の消失または脱落が挙げられる。これは広い意味で、ひとつまたは複数の分節音を省くことを指す。音声言語では、語の中から母音が消失する場合もあれば、子音や音節が消失する場合もある。例えば、英語の「family/fæ.mɪ.li/(家族)」という語は、三つの音節で構成されている。このとき、2番目の音節の母音が消失し、[fæm.li]と発音されることがある。もうひとつ、「him /hɪm/(彼に/彼を)」を例に  挙げると、話し手によっては最初の子音が消失し、[ɪm]と発音されることがある。

日本手話では、両手を用いる手話単語に消失が生じることが  ある。下記の例は、/電車/ のいくつかの変異形のうちのふたつを 示したものである。/電車①/ は両手を用いているが、/電車②/ は、 一方の手の発話が消失している。

/電車①/
/電車②/

複合語における手話単語の消失も観察される。下記の手話例は、 /のんびりする/ のふたつの変異形を示したものである。/のんびりする①/ は、/頭/ と /空っぽ/ からなる複合語であるが、/のんびり する②/ で残っているのは/のんびりする①/の二番目の手話単語のみで、最初の手話単語は完全に消失している。

/のんびりする①/
/のんびりする②/

第三の種類の音韻現象として、ここで取り上げるのは「音位転換」である。音位転換とは、ふたつの音または音節の位置がひとつの語の中で入れ替わることをいう。英語の「ask /ɑsk/(尋ねる、依頼する)」という語は、ときどき[ɑks]と発音される。つまり、[s]と[k]という音の順序が入れ替わっている。

日本手話では、/ろう者/ の標準的な表現方法は、五指を伸ばし、  耳に触れた後、口に触れるというものである。しかし、場合に よっては、ふたつの接触の動作が入れ替わることがある。この ような音位転換は、アメリカ手話のDEAF(ろう者)でも見られる(Liddell & Johnson 1989など)。

音位転換の別の実例として、日本手話の /どこ?/ が挙げられる。 /どこ?①/ は、/場所/ と/何?/ からなる複合語であるが、変異形 (/どこ?②/)では、ふたつの手話単語の順序が入れ替わっている。

/どこ?①/ 
/どこ?② / 

これまでに紹介した日本手話の実例(/カメラ①/ と/カメラ②/、  /電車①/ と/電車②/ 、/のんびり①/ と /のんびり②/ 、/どこ?①/ と  /どこ?②/)は、音韻処理プロセスによって、既存の手話単語から変異形が生成される場合もあることを示している。このような語彙は、音韻変化によるバリエーションと言える。とはいうものの、全ての語彙のバリエーションが、音韻に関連するものではない。地域や年代などによるバリエーションも存在する。例えば、 /名前/という手話は関東地方と関西地方で表現が全く異なる。

/名前(関東地方) / 
/名前(関西地方) / 

References:

  • Liddell, Scott & Robert Johnson. 1989. American Sign Language: the phonological base. Sign Language Studies 64, 195-278.
  • Sandler, Wendy. 1999. The medium and the message: Prosodic interpretation of linguistic content in Israeli Sign Language. Sign Language & Linguistics 2(2), 187-215.
  • Corina, David. 1990). “Handshape assimilations in hierarchical phonological representations.” In C. Lucas (ed.), Sign Language Research: Theoretical Issues, pp. 27–49. Washington, DC: Gallaudet University Press.
  • Quer, Josep, Carlo Cecchetto, Caterina Donati, Carlo Geraci, Meltem Kelepir, Roland Pfau & Markus Steinbach (eds.). 2017. SignGram Blueprint: a Guide to Sign Language Grammar Writing. Germany: De Gruyter Mouton.